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2007年5月29日 (火)

バンナ農業試験場~ナコンナヨッ県(1)

バンナ農業試験場は、バンコクから北東へ、車で1時間半くらいのナコンナヨッ県バンナ区バンプリーク群ノンカンチャン村にあります。
ノンカンチャン村の
戸数は400軒くらいで、ほとんどが農家。
農業試験場は全体で150ライの広さがあり、森林もあります。全体で20人くらいの農家の人が雇われていて、そのうち、ノンカンチャン村の農家の人が3~4人、森林局の人が5人です。

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試験場に勤めるポックさんにお話を伺いました。ポックさんはナコンカヨッ県の生まれで、試験場が開設された8年前から勤めています。プロジェクトの期間を含めると11年くらいになるとのことでした。

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村の中に物が育たない土地がある。土が酸っぱい、水が酸っぱいなどの理由。バンプリーク群の中にだけある問題で、ナコンナヨック県の中では南の方の4つの区(バンナ区、オンカラッ区、ヌアン区、バンピー区)に偏っている。ここはリンピョウ(土地が酸っぱい)といわれています。
水があってゴッの木が生えていると、酸っぱい水だとわかります。

写真は、農業試験場のパネルにあるゴッを刈り取っているところ。

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ゴッは、ござの木ともいい、普通の農家も植えている。ゴッの木が生えているのを見ると、田にせずに、ゴッの木だけを植えるようにしていた。ゴッは、4ヶ月に1回(1年に3回)採れる。農家の人は暇なときにこの木でゴザを作っています。

森林がなくなってから、土地が少しずつ悪くなった。村の人たちは、森林がなくなってから土地が酸っぱくなったということを知らない。試験場で教えるようになって70~80%の人たちが理解するようになりました。

45年前のこと、農家では、土地開発局の指導で、田植えができない土の上に石を砕いて細かくパウダー状にして捲いたことがある。1ライにつき2000キロの石を捲いた。酸っぱい水についても、同じようにした。この石(石灰岩)を農家に無料でわけていたが、その石がある場所を所有する農家が、開発局にその石を売らないで自分で売るようになった。今では農家から土地を買った商売人が石を売っている。

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試験場では、酸っぱい土の改良のための工夫が試みられています。試験場内にその模型がありました(写真④)。貯水池の汚れた水のところには、果樹園などの土に石灰石を混ぜたりします。その割合は、テスト用地30%(水田)、30%(果樹園)、30%(森林)、30%(住居)。王様の新しい理論として提示されたということです。

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また、農業試験場の敷地内にあるゴッを織るための小屋も見せてもらいました。ちょうどお茶の時間らしく、3人の人たちが休憩しているところでした。
ここで織られたゴッは、試験場のロビーで売られていました。

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試験場内の酸っぱい土壌で作った果物のジュースもご馳走になりました。果実酢のようなさわやかな味がしました。

この試験場は王様の娘さんのプロジェクトとして行われています。ポックさんは、彼女がこの試験場を訪れた開設当時の写真を見ながら、「今年も来る予定になっています」と誇らしそうに話してくれました。(中島とみ子)

次回は「8月15日の田~ナコンナヨッ県(2)」です。


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2007年5月24日 (木)

出家~バンコクの寺院(3)

去年の夏、同じバンコクの寺院を訪れる機会がありました。
時間は午後2時過ぎ。
お寺の入り口付近にはたくさんの自動車が止まっていて、キャリーバックや旅行かばんを持った男性があちらこちらに見えました。
以前、昼食に招かれた時の雰囲気とはちょっと違っていました。

「何かあるのですか?」とたずねると、一緒にいたタイの友人が、
「彼らは出家するために来たのです。今日から1ヶ月の間、この寺院で修行をします。今回出家するのは600人位と聞いています」と教えてくれました。

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青木保は『タイの僧院にて』(昭和54年)の中で、タイには一種の社会的慣行としての「一時僧」制度があり、毎年多くの若者たちが一時的に僧になる、と書いています。この慣行は、スコタイ時代末期に確立されたといわれているものです。現在でも、官庁や会社は、僧になりたいというものを止めることはできないのだそうです。
タイの友人も、
この寺で出家修行を経験しています。その時の修行は、5つの戒律を守る(「盗まない」「うそをつかない」「お酒を飲まない」「殺さない」「女性を断つ」)という内容だったそうです。(戒律は最高で227あるそうです)

かつての藁葺きの寺院は、近代的なコンクリートの大きな建物に変わっていました。改築された寺院の中では、2001年の時と同じような午後のひとときの光景がみられました(写真③)。
でも、以前に比べて和やかな雰囲気が漂っていました。
写真の僧侶は、たぶん一時僧で、信者はその家族や知り合いの人たちなのかもしれない、そんな風に思えました。

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青木保によれば、当時は、出家のために100日の有給休暇がとれたということでしたが、この日出会った人たちは、1ヶ月の修行のためにこの寺を訪れていました。
経済発展が進むタイ社会においても、一時僧になることを阻止することは、「これほどの不徳をなす行為もないといえる類のこと」とされていますが、その期間などは、少しずつ変わっていっているようです。

ちなみに、タイの友人は、この寺の近くのマンションを購入したそうです(写真④)。その理由は、いつでもお寺に行けるから、そして、たぶんこのマンションが値上がりするから、ということでした。

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(中島とみ子)

次回は、「バンナ農業試験場~ナコンナヨッ県(1)」です。


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2007年5月18日 (金)

午後のひととき~バンコクの寺院(2)

昼食が終わると、僧侶たちはその場から去っていきました。写真①の若い僧侶は、後かたづけ役なのでしょうか。小さなポリバケツを持ってゴミを拾っていました。

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多くの僧侶が去った後に、いくつかの集まりが見られました。尼さんと立ち話をしている僧侶、その後ろでは、台座に腰掛けた2人の若い僧侶と跪いた青年とが、手を取り合って語らっています。また、台座に座った僧侶から説教を受けているような集まりもいくつか見られました。

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昼食前に整然と入場してきた僧侶の荘厳さに仏教国タイの姿を見たように思った私にとっては、昼食後のこの和やかな光景は意外でした。でも、こうした光景の中にこそ、タイが仏教国として続いている理由があるのでしょう。
タイでは出家は最大の徳と考えられています。出家を阻むことは、社会でも家族でもできません。会社でも、出家のために休暇を取ることが認められています。こうした中でたくさんの人が出家を経験しています。
昼食に集まった僧侶の中には一時的な出家僧も多くいたと思われます。
社会の一員であり、また家族の一員でもある一時的な出家僧にとって、昼食後のひとときはとても大事な時間なのかもしれません。

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外に出た僧侶たちは、暑い日差しの中、三々五々散っていきました。
小 さな僧侶たちが、リヤカーに自転車が着いた乗り物に乗っていました。暑い日差しを避けるように、僧服を頭にもかけている僧侶もいます。それは、まるで腕白少年たちが、日差しの中 で遊んでいるようにも見えました。
日本では自転車の後ろにリヤカーのような荷台がついていますが、これは、前に荷台がついたものでした。

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面白い看板を見つけました。女性・男性・お坊さんそして矢印の描かれた看板です。看板の先にあったのはトイレでした。この寺院では、僧侶のトイレが別になっていたのです。3つのトイレにどのような違いがあるのか確かめられませんでしたが、日本で暮らしてきた私にとって、この区別はとても興味深いものでした。
ちなみに、この寺院では、男女とも白い服を着ている人がたくさんいました。昼食に招かれた私たちも、白い上着を着てくださいといわれました。

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また、お寺の中には、スーパーマーケットのような店もありました。
昼食後のひとときを、そこで買い物をする僧侶の姿に出会いました。
食べ物や歯ブラシ・石けん・タオルなど、僧侶たちが日常使ういろいろな生活用品が並んでいました。その他に、お寺の絵が入ったTシャツ・レターセット、お寺で造っているという飴・お菓子などもありました。

私は、お寺で造った飴とTシャツを一袋ずつ買いました。これらの品は、一時出家した人たちが記念に買っていくものなのかもしれません。

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(中島とみ子)

次回は「出家~バンコクの寺院(3)」です

 



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2007年5月11日 (金)

僧院の昼食~バンコクの寺院(1)

学生時代に、青木保の『タイの僧院にて』を読んで以来、私はタイの仏教に、特に僧院での暮らしに興味を持ってきました。それで、はじめてタイを訪れた時(2001)まっ先に寺院に連れて行ってもらったのでした。

僧院の昼食に招かれた私たちは、広大な敷地の中にある大きな茅葺き(?)の屋根の下で、僧侶たちを待ちました。屋根に開けられた何カ所もの明かり取りからはいる光と、涼しい風の通る広い空間が、私に安らぎを感じさせてくれました。

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一段高くなった台座の上には、僧侶の昼食が入った器などが置かれていました。離れたところから読経の声が聞こえてきます。柱の時計が11時ちょっとすぎたころ、僧侶たちが次々と入ってきました。彼らが加わった読経の声は、だんだん大きくなっていきます。

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僧侶の数は数千人にもなったでしょうか。一堂に会した読経の後、昼食になりました。僧侶たちはその場で、私たちは同じ建物に用意されている別の場所に移動しました。

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僧侶以外の人たちは、大きなバットや鍋から、バイキング様式で、それぞれの料理を各々取り分けて来て食べるようになっていました。私たちが案内されたテーブルには、すでに料理が取り分けてありました。タイでは、ホークとスプーンでまぜるようにして食べます。赤飯のようなタイ米に葉物の煮浸し風のものをまぜて食べてみたらとてもおいしかったです。

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僧侶たちの食事はそれぞれその場に用意してあって、給仕の人がその間をまわって世話をしていました。僧侶も信者も、そして、たまたま訪れた私たちも、みんなが同じものを一つ屋根の下で食べた昼食でした。

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小さなお坊さんたちもいました。彼らは、大きくなって僧侶になるんですか?」と訪ねると「ほとんどの子が、学校を終えるとお寺を出ていきます」という答えでした。家が貧しいためにお寺に入り、お寺から学校へ通わせてもらっている子供たちも多いと聞きました。(中島とみ子)

次回は、昼食後のひととき~バンコクの寺院(2)

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2007年5月 6日 (日)

「モーニングバザール」~ハジャイの朝(3)

僧侶たちがいる交差点付近の道路は、6時から7時の間は、歩行者に解放されていて、 バイクや車は、のろのろと歩行者に気をつけながら動いていました。 写真①に写っている緑色や赤のチョッキをつけた人たちは、このにぎわう道路を管理する人たちのようです。 

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交差点近くの露店では、供物としてお坊さんに差し上げるもの、主に、果物やお菓子など、パックされた食べ物が売られていました。 

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写真②の花が、仏様や精霊(ピーの社、舟の先端など)に供えられているのを、よく目にしました。でも、この朝の僧侶の鉢にはこの花は供えられていませんでした。

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いろいろな果物も売られていました(写真④)。手前から、パパイヤ、バナナ、スイカ、ドリアン、ザボン等々。歩道の上では、パパイヤやザボンをその場で、切り分けて、通行人に声をかけて売っている女性たちが何人もいました。

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市街地の多くの店舗はシャッターをおろしたままでしたが、仏壇などを売っている店は開いていて、歩道に線香が出ていました(写真⑤)。 

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供物、花、果物などの露店の先には、食べ物の屋台が並んでいました。
タイのあちこちでナイトバザールが開かれていますが、ハジャイ市街地の朝の光景は、さしづめ「モーニングバザール」と言ったところでしょうか。ナイトバザールは、観光客を相手に土産物を売りますが、「モーニングバザール」は、新しい1日の始まりにふさわしく、人々が功徳を積むための供え物や、朝食の食べ物などが売られていました。

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このハジャイ市街地では、僧侶のところへ行って供物を捧げますが、人々が、供物を捧げるために道に座って、托鉢にまわる僧侶を待っているところも多いと聞きます。
仏教国タイでは、僧侶はとても尊敬されています。
托鉢は、僧侶の側からすると毎朝の修行の一つ、そして、人々にとっては功徳を積むことのできる場なのです。人々の僧侶への尊敬が、こうした光景となって、毎朝繰り返し続けられているのでしょう。(中島とみ子)
 

次回は、バンコクの寺院です。


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2007年5月 4日 (金)

朝のお祈り~ハジャイの朝(2)

ハジャイ市街地のホテルに移って1日目の朝、窓から見えるビルの谷間の歩道に、僧侶の姿が見えました。しばらくすると、僧侶たちは車に乗っていなくなってしまいました。時間は7時少し過ぎていました。

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次の日の朝、私は早起きして、昨日僧侶たちが見えた街角に行ってみました。時間は6時。昨日見えた歩道には、たくさんの僧侶が托鉢を持って座っていました。その前には、供え物を売る露店がたくさん出ていました。

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人々は、露店で買い求めたかごいっぱいの供え物を、並んで座る僧侶の前の鉢に順番にいれていきます。

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うろうろしていた私は、一人の女性に供え 物の入ったかごを渡されました。女性は露店で供え物を売っている人で、かごの中のものをお坊さんに供えるように身振り手振りで勧めます。お金を払うと、女 性は、私をお坊さんの前につれていき、かごの中のものを鉢の中へ入れるようにうながします。途中で、尼さんがいるのに気づいた私がそちらへ行くと、その女 性も私に付いてきました。そして、空っぽになったかごを私から受けとると露店に戻っていきました。
僧侶はオレンジ色の僧服、尼さんは白い服を着ています。
タイの友人の話では、タイのお寺には、以前は尼さんはいなかったが、最近多く見かけるようになったとのことです。

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露店は、道路の両側と歩道の上にもずらっと並んでいました。露店を見て歩いているうちに時間は7時を過ぎました。すると、並んでいた露店が次々とたたまれていき、僧侶たちも、鉢から移し入れた袋を持って、歩道の一角に集まっていきます。

私が昨日の朝見た光景は、朝のお祈りを終えて寺へ戻る前の僧侶たちの姿だったのです。

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僧侶たちは、大きな袋と一緒に荷台に長いすが付いているソンテウに乗り込むと、それぞれのお寺に戻っていきました。

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(中島とみ子)

次回は、朝の露店~ハジャイの朝(3)です。



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2007年5月 3日 (木)

朝粥店~ハジャイの朝(1)

ハジャイは、タイ南部にある都市です。かつての生活と新しい生活とが混在しているように感じられるハジャイを、私はとても好きです。残念ながら、2006年のタイ旅行では、治安が不安定で訪れることができませんでした。
これからお話しするのは2001年に訪れた時のハジャイ市街地での朝の光景です。

朝粥店は、通勤で混雑する交差点の角にありました。

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建物の外側に大きく張り出した日よけの下に、屋台やテーブルを並べ、道路を向いて商売をします。

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店の中から見ると、お客に背を向けて粥を作っています。私は、店をでて屋台の前へ行き、好きなものを指さして器に入れてもらい、それを持って店の中へ戻りテーブルで食べました。

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店内は土間になっていて、テーブルとイスが置かれていました。天井は高く、太い柱で支えられていました。
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この店は、この近辺では一番古い朝粥店だそうです。店の中のテレビにカーテンがついていること、その下の冷蔵庫に水色のシートが張られていたことなど、この店の経営者が、これらの品々を丁寧に大事に使ってきたことが想像されました。また、店の板壁には、たくさんの王様やお坊さんのカレンダーがかけられていました。 

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経営者は80歳位になる女性で、この店の二階で暮らしています。若い時にこの朝粥店を始めて、ずっとここで店を続けてきたそうです。最近は、親戚の人に任せて、あまり店には出いと聞いていましたが、私が行った時、挨拶にでてきてくれました。

この朝粥店に、2日通いました。ホテルでも朝粥は用意されていますが、この店で食べた朝粥が、私の中では一番おいしかったように思えます。(中島とみ子)

次回は、朝のお祈り~ハジャイの朝(2)です。

 

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