放牛~祈りのかたち(2)
母の日の会場の広場の道に、牛を乗せた車が2台止まっていました。
車の中では、運転手らしき人が寝ていました。
牛を売りに来たのだろうか?
荷台の牛に目をやると、どれも、あばら骨が浮くほどやせています。これでは、買う人はいないのでは・・・と思いながら見ていると、数人の人たちが、牛を乗せてある車のところに集まってきました。彼らは、牛を見ながら何かを相談しているようでした。
運転席にいた人に、話を聞きました。
この牛は、朝早く、近くの村から運んできたもので、売るのではなく、放牛されるためのものなのだそうです。
放牛とは、「放生(ほうじょう)」のうちの1つで、仏教における善行の1つとされています。
捕らわれの牛を解き放ってやるために支払う金額は、8000バーツ(1バーツ約3円)。8000バーツで自由になった牛は、善行を施した人に代わって、牛を連れてきた人が森に連れて行って放してやるのだそうです。
もしかしたら、森に放たれた牛は再び捕らえられ、また放牛してくれる人を待つことになるのかもしれません。
放牛は、経済の面と心の面との両方から、タイの人々の生活を支えているものなのかもしれない、そんなふうに感じました。(中島とみ子)
次回は、「放鳥~祈りのかたち(3)」です。
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コメント
放牛の話、興味深く読ませていただきました。
知り合いが恐山へ行ったときに、
霊場に供えられている、たくさんの風車に思いを馳せていたら、
お土産屋のおばちゃんが目の前で、ボスボスとお供えの風車をひっこ抜いて、洗ってまた売っていたのをみて驚いた、という話を思い出しました。
生きていくことと人間のたくましさ!を感じました。
投稿: えり奈 | 2006年12月 8日 (金) 12時09分
市場経済では個人所有の考え方が優先されますが、そうでない生活に、ふと安堵感を感じている今日この頃です。
人間って、いいですよね。
投稿: tomika | 2006年12月10日 (日) 20時06分