2008年2月 5日 (火)

田舎の主婦のタイ旅行記・目次

1  田舎の主婦のタイ旅行記  06/10/04
2  少女たち~モン族の村へNo.1  06/10/05
3  母の日~モン族の村へNo.2  06/10/07
4  スパポーンの家族~モン族の村へNo.3  06/10/09
5  小学校~モン族の村へNo.4   06/10/12
6  ノバドン校長先生のお話~モン族の村へNo.5  06/10/16
7  村の全景~モン族の村へNo.6  06/10/18
8  村の民族博物館(DOIPUI HMONG’S MUSEUM)~モン族の村へNo.7  06/10/21
9  村の女性たち~モン族の村へNo.8   06/10/25
10 村の食堂~モン族の村へNo.9   06/10/30
11 スコールと子どもたち~モン族の村へNo.10  06/11/14
12 王様の奥さんの誕生日~祈りのかたち(1)   06/11/21
13 放牛~祈りのかたち(2)   06/11/26
14 放鳥~祈りのかたち(3)  06/11/29
15 放亀~祈りのかたち(4)   06/12/02
16 精霊の社~祈りのかたち(5) 06/12/08
17 ハジャイの精霊~祈りのかたち(6) 06/12/12
18 農家のピー~祈りのかたち(7)   06/12/16
19 精霊の祭り~祈りのかたち(8) 06/12/20
20 ピーの姿~祈りの形(9)   06/12/27
21 水上マーケットへの道~水上マーケット(1)   07/01/05
22 水路を行く~水上マーケット(2)   07/02/04
23 水路沿いの家々 ~水上マーケット(3)   07/02/28
24 水路にかかる橋 ~水上マーケット(4)   07/03/07
25 ホームステイハウス~水上マーケット(5)   07/03/14
26 スイス人の舟着き場~水上マーケット(6)   07/03/26
27 マーケットの中心 ~水上マーケット(7)   07/04/09
28 塩の直売所~塩田(1)  07/04/17
29 ラオスの製塩所~塩田(2)  07/04/23
30 塩田(補足)  07/04/26
31 朝粥店~ハジャイの朝(1)  07/05/03
32 朝のお祈り~ハジャイの朝(2)  07/05/04
33 「モーニングバザール」~ハジャイの朝(3)  07/05/06
34 僧院の昼食~バンコクの寺院(1)  07/05/11
35 午後のひととき~バンコクの寺院(2)  07/05/18
36 出家~バンコクの寺院(3)  07/05/24
37 バンナ農業試験場~ナコンナヨッ県(1)  07/05/29
38 八月一五日の田~ナコンナヨッ県(2)  07/06/04
39 アレリさんの田~ナコンナヨッ県(3)  07/06/07
40 ノンカンチャン村の農家~ナコンナヨッ県(4)  07/06/12
41 共同の仕事~ナコンナヨッ県(5)  07/07/02
42 ダム~バンポーン村の公共事業(1)  07/07/07
43 自然観光開発~バンポーン村の公共事業(2)  07/07/17
44 エコツーリズム開発センター~バンポーン村の公共事業(3)  07/08/08
45 ウィークエンドマーケット~バンコク(1)  07/08/27
46 物産展   07/09/10
47 音楽学校   07/09/23
48 タイで出会った子供たち(最終回)  07/10/02

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2007年10月 2日 (火)

タイで出会った子供たち(最終回)

タイではたくさんの子供たちとも出会いました。
タイ旅行記に登場していなかった子供たちの姿を、この最終回で見ていただきたいと思います。①はドライブインで出会った男の子。②はモン族男の子、まるでクレープを作る時のように土を見事にのばして遊んでいました。

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③~⑦は小学校の昼休みの光景です。木陰に集まっていた子供たちは、生き生きとしてとても素敵な表情を見せてくれました。
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⑧~⑩は、中学校の下校風景です。この時間のツクツクは、制服姿の生徒さんたちであふれます。⑩に写っている店は駄菓子屋さんです。

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動物の赤ちゃんにも会いました。象の親子⑪、イノシシの赤ちゃん⑫、水牛の親子⑬

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タイ南部では、水牛を連れて舗装された道を歩いている少年を見かけました。小屋がけの下ではビニール袋にストローをさしてココナッツミルクを売っていました(⑭)。

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子供たちは遊びの天才。いつでもどこでも楽しいことを見つけてしまいます。
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行くたびにたくさんの人々に出会い、私はタイが好きになっていきました。そんなタイの魅力を、タイ旅行記として綴り初めて10ヶ月、まだまだたくさんの思い出がありますが、子供たちの愛らしい笑顔で最終回といたします。

ありがとうございました。(中島とみ子)  









 

 

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2007年9月23日 (日)

音楽学校

タイの音楽学校では、地域の伝統音楽・舞踊と、タイの各地の舞踊・音楽も学びます。音楽学校で各地の舞踊を習うのは、各地のレストランやイベント会場などから踊りや音楽を求められるため、どこの地域のものでも踊れるように勉強しているそうです。

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音楽学校では楽器演奏も学びます。写真②はタイの伝統的な楽器でケーングと呼ばれるもので、ウィークエンドマーケットや物産展でもよく見かけました。
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タイ舞踊全般に共通してみられる特徴は、体の柔らかさ、特に指の表情で豊かな感情表現をしているところでしょう。

私は、タイ東北部のレストランでタイ舞踊を見ました。
そこでは、北部の舞踊と伝統的な舞踊、そして南部の舞踊も見ることができました。それぞれ
踊りの内容、音楽のテンポ、衣装など異なっていました。ここで踊っていたのも、音楽学校の生徒さんたちと聞きました。
舞踊が終わると、食事をしている人たちも
一 緒に踊るように誘われました。私は一緒に行ったネーさんと、輪の中に入りました。手のしならせ方、足の運び方をていねいに教えてくれるのですが、私の手は 盆踊りのようでした。後ろを見ると、ネーさんの手は驚くほど綺麗にしなっていました。
ネーさんは、現在チェンマイ大学の研究室で歯学を学んでいますが、彼 女も小さい頃タイ舞踊を習っていたのだそうです。感心する私に、
細い指をそらせて、なんと手の甲に触れて見せてくれました。

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写真④は、音楽学校の図書室の風景です。タイ舞踊の学校では、英語の勉強もしていました(写真⑤)。タイ舞踊のしなやかさと表情の豊かさは、彼女たちの普段の表情も、とても豊かにしてくれているように思えました。(中島とみ子)

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タイ舞踊について詳しく書かれているアドレスです。
http://www.itdaschool.jp/aboutthaidance.htm

次回は「タイで出会った子供たち(最終回)」です。

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2007年9月10日 (月)

物産展

タイで開催されていた物産展に行きました。この物産展はタクシン首相の政策で、日本の一村一品運動を参考にしたものだそうです。
物産展は、大きな近代的なビルの中で開催されていました。

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会場でひときわ目を引いたのは、タイの民族衣装できれいに着飾った少女たちでした。少女たちも物産の販売に一役買っているようでした。

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ワンフロアーの広い会場には、所狭しと各地の物産が並び、その間をたくさんの人が歩いていました。民族楽器や、木工工芸品の並ぶ店(⑤)、そして、赤いトッテのついた俎も並んでいました。タイでは、丸い俎を多く見ました。タイシルクを販売しているところには、織物機も展示されていました。実演も行われるようです。

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通る人たちに、次々に試食品が差し出されます。
私も、いくつかの試食にあずかりました。こうしたところで食べると、ひときわおいしく感じるのは私だけでしょうか?
写真⑧は、竹の皮に筒状のソーセージのようなものを詰めているところです。

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タイで初めての物産展は、ウィークエンドマーケットを近代的なビルに移したような感じでした。異なっている点は、各コーナーの上に地名が掛けられていること、そして、冷房の利いた涼しい室内で買い物ができるという点でしょう。  

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物産展のにぎわいを見て、近代的なビルの通りを抜けると、川の畔に、昔ながらのタイの暮らし思わせる一角がありました。(中島とみ子)

次回は、音楽学校です。

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2007年8月27日 (月)

ウィークエンドマーケット~バンコク(1)

バンコクで、週末に開かれているウィークエンドマーケットに出かけました。
歩道の隅で、ゲームをしている人たちがいました(写真①)。いすに座っている人が客のようです。昭和30年代頃の日本でよく見かけた縁台将棋(賭将棋)のようなものかもしれません。カバンの中に古い品物をいれて歩道のテーブルに並べて売っている人もいました。何でも売れることに驚きました。

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時計台のある大きな広場が、ウィークエンドマーケットの会場でした。

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民族楽器を演奏している高校生がいました。30度を超える炎天下にもかかわらず、たくさんの人々が歩いていました。 

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道路沿いには、果物や、花などを売るテント掛けの出店が並びます。

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このあたりから先は、広場全体に張られたテントの下を歩きます。

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途中でスコールに遭いました。テントにあたった雨音が大きく響きましたが、店の人たちはあわてるふうもなく、テントの継ぎ目から落ちてくる雨粒を避けるために商品を移動していました。私はちょうど衣料品の並ぶテントの下にいましたが、「すぐにやむから・・」と言いながら、店の人がイスを出してくれました。

スコールが生活の一部になっているタイですが、このウィークエンドマーケットの中でも、スコールは、ほっと一息つく時間を作り出していました。
スコールが通り過ぎると、いっきょに涼しくなりました。
(中島とみ子)

次回は、物産展です。

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2007年8月 8日 (水)

エコツーリズム開発センター~バンポーン村の公共事業(3)

ダムへ向かう山の中腹に、農業エコツーリズム開発センターがありました。入口にかけられたボードには、「AgreーEcoturisn Development Center」とありました(写真①)。

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入口を入ったロビーでは、2人の女性がキノコを袋詰めにしたり、バナナの葉で作った器に盛っていました。

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ロビーから外へ出て、ちょっと下ったところに立派な建物がありました(写真④⑤)。

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ハンさんは、持っていた鍵でドアを開け私たちを招き入れました。入るとまず、バンポーン村に自生する植物の写真があり、次の部屋には村人の生活用品が展示されていました。川で魚をとる時の道具(写真⑥)、水牛で田を耕す時の道具(写真⑦)、そしてお祀りの時の楽器もありました(写真⑨)。

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バンポーン村の歴史を示すこれらの展示物は、メイジョウ大学の学生たちの手によるものだそうです。「精霊の祭り~祈りの形(8)」にすでに掲載しましたが、バンポーン村の祭りの様子を再現した人形(写真⑩)も、メイジョウ大学の若い学生たちによって制作されたものです。

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バンポーン村では、王様の農業政策が、それを学ぶメイジョウ大学の若い学生と、そこで生活している村人たちによって実践されています。地域に根ざした大学のあり方を見せてくれていました。(中島とみ子)

次回は、ウィークエンドマーケットです。


 


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2007年7月17日 (火)

自然観光開発~バンポーン村の公共事業(2)

自然観光開発も王様のプロジェクトです
バンポーン村の自然観光開発プロジェクトは、王様と
バンポーン村とメイジョウ大学との3者の協働で進められています。
メイジョウ大学は、
70年前に創られた実践的な総合大学です。創設当初は東北部や南部の学生たちが多かったようですが、現在は、このあたり(西北部)からの学生も増えてきました。バンポーン村からメイジョウ大学に入った子もたくさんいるとのことです。
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写真①はバンポーン村のエコツーリズム開発センターにあったメイジョウ大学の校章です。タイでは、龍は雨を降らせる神としてあがめられていて、農業大学の象徴とされる場合が多く見られます。
大学で王様のプロジェクトに習った学生たちは、自分たちの地域に戻って、プロジェクト等に参加し、大学での理論と実践とを役立てているとのことです。

バンポーン村は100年位前からの村です。

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村に伝わる約束事が、村のルールブックとして冊子になっていました。冊子にしたのは7年前のこと。現在、100人くらいの村人が、プロジェクト関係で働いているそうです。20年前から王様のプロジェクトに参加しているハンさんは、現在は、村の議員(10人くらい)のうちの1人で、村の中心的役割を担っています。
ハンさんは、プロジェクトの行われている山を車でまわって見せてくれました。

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写真③は農業エコツーリズム開発研修所。

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山のあちらこちらで、働いている若い人たちを見かけました。写真④の右隅に小さく写っているのは、メイジョウ大学の学生さんのようです。

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農作業用具を担いで、バイクに2人づつ乗って、バンポーン村の道路をさっそうと走っていく彼らの姿は、とても好ましく私の目には写りました。(中島とみ子)

次回は、エコツーリズム開発センター~バンポーン村の公共事業(3)

 

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2007年7月 7日 (土)

ダム~バンポーン村の公共事業(1)

30年ほど前のこと、メイジョウ大学の卒業式に出席した王様が、この付近の地図を見て、大学の後ろに開発していない土地があるのを知り、「なぜか」と見学に来ました。メイジョウ大学は、チェンマイ市街地から車で北へ1時間ほどのバンポーン村にあります。
バンポーン村の人々は、皆、王様が来たのでびっくりしたそうです。
王様はその1年後、地域のためのプロジェクトを発足させました。プロジェクトの名前は「王様の言葉」。
「村の中で一番ほしいのは何か」と王様に聞かれた村人は、「水」と答えました。
それを聞いた王様は、3キロ先に、水田のために大きな貯水池(ダム)を作るプロジェクトを計画したそうです。22年前のこと。

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バンポーン村に住むソム・チャイポーン・ハン(42才男性)が、ダムに案内してくれました。彼は、村のリーダーの秘書をして、20年前から村の王様のプロジェクトに関わっています。
舗装された広い道を登り詰めたところにダムがありました。写真②の奥の水色の屋根は休憩所。土手には、大きな白い文字が書かれていました。③は、ダムから水を放出する口です。

このプロジェクトのために、役人や役所の人が大勢やって来て、村の人たちは穴を掘る仕事などを手伝いました。王様は、「ほかの村の人ではなくこの村の人だけで掘るように」と言われたそうです。
男も、女も工事に出ましたが、男は1120バーツ、女は80バーツ、そして、セメントなどを扱う専門の人は、1150バーツのお金をもらって仕事をしました。この貯水池の工事には、1年半の期間がかかりました。

「ダム(貯水池)ができて、たくさん米が取れるようになりましたか?」とソム・チャイポーン・ハンに尋ねました。

ダムができる前の稲作は、雨季の11月に田植えをしていただけで、年1回の収穫だったが、現在は、2回収穫できるようになった。1回目は7月に田植え11月に刈り入れ。12月は田んぼを休ませて、2回目は1月に田植え4月に刈り入れる。そして、5,6月は休み。ダム(貯水池)ができて、米、果物、花など、何でも植えられるようになった。野菜は、池のそばの高いところに作り、米は一番低いところに作る。米はたくさん収穫できるようになったが、チェンマイの田は大きくないので、自分の家で食べるぶんだけ作っている。
年1回の米作りの時、水が足りなくなったことはないが、雨が降りすぎると洪水になることはあった。ダムができて、洪水もなくなった。
王様のプロジェクトがはじまる前は、このあたりで一番貧乏な村だったが、今は、一番豊かな村になった。

ソム・チャイポーン・ハンさんの最後の言葉が印象的でした。現在も、この村で4つのプロジェクトが続いています。

次回は、自然観光開発プロジェクト~バンポーン村の公共事業(2)

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2007年7月 2日 (月)

共同の仕事~ナコンナヨッ県(5)

ノンカンチャン村のお寺は、村の入り口にありました(写真①②)。お寺の境内には、何基もスツーパが立っていました。スツーパは、日本の墓石と同じですが、1人に1つのスツーパが立てられます。写真③の右側に見える塔は、焼き場です。

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ノンカンチャン村では、2年前に村の共同の仕事としてお寺から水道を引きました。水道を引く仕事は、バパー・ムバーム。バパーは水道、ムバームは村の意味です。水道は、2年前の暑いとき、雨が降る前の3月ころにつくりました。 お寺は、地下水を掘って水を確保していたのです。バパー・ムバームは村の選挙で選ばれた議員や、プロジェクトのグループが計画して行われました。この時、村の議員は2人、プロジェクトのグループは10人くらい。

ノンカンチャン村は、学校の先生や公務員をしている人もいますが、ほとんどが農家です。村人みんなで行う共同の仕事には、水田の道を造るときの、パターナ・タノ(ン)もあります。パターナは発展、タノ(ン)は道。
パターナ・タノンはお金をもらえない仕事。
村長が招集して行われますが、村の人が一緒に作業をします。男女どちらでも暇な人が1家族から1人以上でることとされていますが、忙しいときは出なくてもよいそうです。パターナ・タノ(ン)は、今ではあまり多くはおこなわれていません。
ちなみに、タン・タノ(ン)は、お金をもらえる仕事のことをいいます。


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1970年代頃、ノンカンチャン村では、 農作業に機械(耕耘機)を使う農家が多くなりました。それまで水牛で行っていた作業が速くできて楽になったそうです。モーターで水を吸い上げるこ ともできるので、いつでも米作りができるようにもなりました。そして、2年前からはナープラン(1年に3回の米作り)がはじまりました。

滞在中に私が目にしたノンカンチャン村の米作りは、自然の恵みを受けているというより自然を効率的に利用しようとする意欲が感じられました。6万~7万バーツする機械を現金で購入する農家は、食べるための米作りから、売るための米作りへとその軸足を変化させざるをえなくなっているようです。
ナープランになって、米作りに関する儀式はあまり行われなくなりました。 収入は多くなりますが、米の価格次第で、3倍になるとは限らないようです。(中島とみ子)

次回は、ダム~バンポーン村の公共事業(1)です。


 

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2007年6月12日 (火)

ノンカンチャン村の農家~ナコンナヨッ県(4)

午後3時過ぎ、ノンカンチャン村のパユーンさん(63)の家を訪ねました。ちょうど水牛をつれてパユーンさんが戻ってきました
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パユーンさんは、6年間やめていた水牛をまた飼い始めました。夜、1キロ先にある水牛のみはり小屋(ハーンクアイ)で寝なくてはいけないし、田んぼと水牛を1人でするのは大変になったので、やめたそうですが、娘の夫が一緒にするようになってまた飼い始めたとのことでした。
庭には、作りかけの水牛の見はり小屋がありました(写真①)。写真②は、
パユーンさんの家の入り口付近です。外側に巡らされた柵は、鶏用。

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裏庭には、たくさんの大きな水瓶が並んでいました。タイのあちこちでこの水瓶を目にします。瓶の上のトタンは雨水を瓶にためるためのものです。
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家の中は、涼しい風が通っていました。数台の扇風機がおいてありましたが、風は、格子戸から入ってくるものでした。床はきめの細かいコンクリート。柱もコンクリートでした。その柱の1本に、「
2524」の数字が刻まれていました(写真④)。これは、この家を建てた時に刻んだ年号なのだそうです。タイの年号は仏暦が使われているので、2524年は西暦では1981年となります。

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部屋の一角に水瓶があり、その上の棚にはカップが置かれていました(写真⑤の左奥)。パユーンさんは、奥さん、娘さんとその夫、孫2人の家族6人でこの家に住んでいます。

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パユーンさんが、ノンカンチャン村の農業に関するセレモニーについて話してくれました。
ノンカンチャーン村が始まったときの話は、聞いていないが「ノン」は池、カンチャーンは、形は見たことはないが、象が盗まれることを防ぐ何からしい。
 米をまく時のセレモニーは昔はやっていた。レーナ・ファンという。「レー」は「はじめる」、「ナ」は田、「ファン」は米の心(精霊)。
レーナ・ファンは、
田に入って耕した後、全体を3回回って籾をまく。
そして、明日辺り、稲の穂が出るという頃に小さな祠を立てる。
これをルアン・クアン・カオという。子供がたくさん生まれるようにというのと同じに、米がたくさんできるようにと祈る。祠は、1回作ると壊れるまで使う。祠を作るのは誰でもよい。
祠の中には、少しずついろいろな果物と菓子を供える。必ず必要なものは、バナナとオイと呼ばれる甘い植物の茎である。稲を刈り終わるまで、小さな祠は建てておく。
この祠については、昔話がある。メアパソ(マイパソ)という、田を守る女性の神様がいた。男が、メアパソを見て「かわいい。きれい。奥さんにしたい」というと、メアパソはびっくりして姿を隠してしまった。このルアン・クアン・カオを田に立ててメアパソを呼んでお祭りをしたという。
このお祭りは、女性だけが参加するもので、男は絶対に参加しない。この祠は、各家にあり、最近このお祭りをやらなくなった人も多くなったが、家では今でも3回とも行っている。穂が出たときのセレモニーは、オー・クァン・カオという。 

米作りが年1回から3回に増えたことで、それまで行われてきた米作りに関するセレモニーが、だんだん見られなくなっているようです。
自分が工夫したことは、娘の夫にも全部伝えている。」と話すパユーンさん。こうしたセレモニーも、パユーンさんからその娘さん夫婦に引き継がれていってほしいと思いました。(中島とみ子)

次回は「共同の仕事~ナコンナヨッ県(5)」です






 

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